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ゆかりの地・和歌山県橋本市
はじまりは橋本市の紀ノ川から
紀ノ川は多雨地帯として知られる大台ヶ原を源として紀伊山地を北西へと流れ、奈良県内で高見川と合流し西へと方向を変え、中央構造線の南側に沿って、橋本市を経由し、和歌山市で紀伊水道へと注いでいます。奈良県内では吉野郡の地名に因み吉野川と呼ばれていますが、紀州・和歌山県に入ると川の名を紀ノ川と変えます。まさに、紀ノ川は橋本市から始まる川なのです。その紀ノ川が秀子の運命を開いていったのです。
紀州 紀ノ川 橋本あたり
筏流しは 唄でゆく
月は山端に 紀の川べりを
啼いて渡るは ほととぎす
見たか 応其寺 橋本名所
門の柱にや 弾丸の痕
忘れなさるな 紀の川筋にや
名さえなつかし 妻の浦
夏が来たなら 紀の川筋の
鮎は若鮎 瀬をのぼる
名残とどめて 一本松は
昔しのばす 御殿浦
野口雨情作詞の「橋本民謡」です。秀子が泳いだ頃から後の時代の作詞ですが、秀子が泳いだ頃の紀ノ川や橋本の風情をよく表している唄だと思われます。 「妻の浦」の上流は河瀬と呼ばれる地域で、流れは荒瀬となっており、また、下流は西川原と言われたように砂が堆積し、川底が上がっていました。そのため、荒瀬と西川原に挟まれた「妻の浦」は流れが緩やかで水深もあり、泳ぐのには最適の環境だったのです。秀子の生家のすぐ近くに湾処(わんど)があり、その上流に「妻の浦」があったことに運命的なものを感じます。15歳になり、椙山高等女学校へ編入するまでの長い期間、秀子は、「妻の浦」で泳力をみがいたのです。